私たちパシフィックは、今日まで仙台空港及び航空輸送の変遷と歩みをひとつにしながら航空給油の仕事をしてまいりました。
50年という長きにわたりご指導ご支援いただきました全ての方々に心より御礼申し上げます。
ここではパシフィックの現在に至るまでの歴史をご紹介します。社内だけではなく、ご家族の方や一般の方もぜひご覧ください。
1960
1968年4月
空路を拡大する航空会社。1964 年運輸省告示第401 号により運輸大臣が設置及び管理する公共用飛行場を「仙台空港」と改称し、名実ともに東北における空の玄関となり1964 年、株式会社パシフィックの前身となる仙台空港サービス株式会社が設立されました。
1967年11月
シェル石油(株)と航空機に対する給油代行契約を締結。日航訓練機及び航空大学訓練機への給油業務がスタートしました。
当社は代行給油でしたが、1980 年4 月に日本航空と「航空機用石油製品売買契約書」を締結し、当社の直接給油販売となりました。
1970
1970年4月
1971年1月
1971年5月
会社設立当社はジェット燃料のタンクはなく、その都度元売りから配送、または塩釜まで引き取りに行っていました。しかし出荷数量は定期便の増加とともに増え続け、1970 年には4,418KLまで増加。
ここでジェット燃料用貯蓄タンクが必要となり、1971年に初のジェット燃料タンク100KLを建設しました。
1971年5月
1977年11月
1980
1987年6月
1987年11月
1990
1990年4月
福島空港での給油業務を望んでいた当社は、福島の地にふさわしい社名の必要性を感じていました。また、当時新潟及び東北各地に薬剤散布用の航空燃料をドラム配送していた当社に対して「仙台○○」という社名は各地元から抵抗がありました。
このような背景により社名変更の検討が本格化し、社内募集を行いました。10案程度に絞りさらに3案に絞り、臨時株主総会ならびに取締役会を経て、1990年4月1日をもって新しい社名は「株式会社パシフィック」となりました。
1991年10月
1992年12月
1993年3月
1994年5月
1995年1月
1997年11月
2000
2003年5月
2005年12月
2007年11月
2008年9月
2010
平成23年(2011年)3月11日、東日本大震災発生。今までに経験したことのない揺れに、社内はパニック状態となった。
余震が続く中、消防団が津波がくるので避難するように呼びかけた。社員にターミナルビルへ避難するように指示。退去前に両タンクの受払元バルブを閉鎖し、入口ゲートを閉鎖した後、全社員仙台空港ターミナルビルに避難した。
2017年11月